2021年10月10日日曜日

禅寺の聖句

神は愛なり

新約聖書 ヨハネの手紙一  4章 16節(文語訳) 

 

コロナで仕事を失ったシングルマザーが役所で支援を求める場面を報道番組で見ました。担当者が「あなたは(支援の)要件を満たしていません」と答えると、「ここに来たら助けてもらえるんじゃないんですか?ダメなんですか?」と泣き崩れました。衝撃でした。そして、「この人を救うものは何か?」と切実に考えさせられました。自分自身も人生の荒波にもまれていたからです。 

そんな私が書店で偶然手にした本がありました。その中に、著者が不治の病に冒されて救いを求めて禅寺に行く場面が出てきます。その禅寺に、不思議なことに聖書の一句「神は愛なり」が掛かっていたのです。この一句と禅僧の「今を生ききれ!」の言葉によってこの著者は死の淵から生還しました。「神が愛であるなら、この世界は悪いものであるはずがない」。そう思ったそうです。 

私もその本を読んで、「神が愛なら私が経験している苦難も良きことなのだ」と覚悟が決まりました。救われました。あのシングルマザーにも知ってほしいことでした。

(M.I. 60代)

主イエスのまなざし

そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ鶏が泣いた。ペトロは、「鶏が泣く前に、あなたは三度私を知らないというだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。

新約聖書 マタイによる福音書 26章 74-75節       

 

ユダは裏切り者の代名詞のように言われていますが、もう一人一番弟子のペトロがいます。ペトロは自分の裏切りがイエスに知られていたことに気が付いた時、激しく泣いた、としるされています。しかし、この気づきでペトロは絶望から立ち直ることが出来ました。 

私たちは多くの弱さや罪を抱えて生きています。その弱さや罪が誰に知られているかが大事なことだと思います。僕はペトロと同じように、自分の弱さや罪が主イエスに知られていることで、大きな慰めをいただいています。この気づきによって、キリストの十字架が自分のためだと素直に思えるようになりました。

(K.O.  70代)

2021年10月3日日曜日

言葉は大切に

はじめに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき。

新約聖書 ヨハネによる福音書 1章 1節(文語訳)


昭和12年(1937年)当時、私は父の勤務地、今は中国となった大連に住み、嶺前小学校の3年生でした。夏はプール、冬はスケートと、お転婆で伸びのびとした毎日でした。

伸びのびしすぎて、思うことをそのまま口にして大事な友達を傷つけたことを思い出します。しばらく不登校になった友だちの原因が、私の言葉にあったと後悔して、先生と母に告白しました。

その時、母が示してくれた聖句が上記です。それまでも日曜学校には通っていましたが、以来幼い私を教会に導く聖句となりました。

(S.O. 90代)

 

心にかけていてくださる神さま

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。

新約聖書 ペトロの手紙一  5章 7節

 

かつて私の父がガンの末期だった時のことです。だんだん弱っていく中で懸命に闘病する父を見ているのは、私も家族としてとても辛かったです。そんな中、この聖書の言葉をよく思い出しました。人間にはどうにもならないことがあるのです。そのことが父の闘病を通してよくわかりました。しかし、神さまが私たちのことを心にかけていてくださるというのです。今の苦しみも、この先の不安も、そして、やがて死を迎えることについても、神さまにお任せするしかないのだと思いました。そして、私たちがどうすることもできない思い煩いを神さまに投げかけ、神さまに手渡した時、神さまが私たち家族を平安で包んでくださいました。

(K.T. 40代)

2021年9月26日日曜日

弱い時こそ見える、本当のこと

わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときこそ強いからです。 

新約聖書 コリントの信徒への手紙二 12章 10節


聖書には謎のような言葉がたくさんあって、最初に読んだ時は意味がわからない、でも、ある時ふと、腑に落ちることがあります。ああ、これだったのか、と。もしかしたらそれは正しい解釈ではないかもしれない。でも、いつかわかる時が来るまで、小さな謎を含んだまま大切に心にしまっておこう。そう思うようにしています。 

人は、上手くいっている時は何でも楽しくて、自信に満ちて、幸せでいられます。そして、上手くいっていない人、要領が悪い人、みっともない人を軽蔑したりします。努力が足りないからそうなるんだと、社会から排除しようとすらします。でも、弱く惨めな時こそ、人や社会の本当の姿が見えてきます。

辛くて嫌な体験はできればしたくない。でもそれこそがかけがえのない財産だ。聖書のこの言葉で、そんなふうに思えるようになりました。

(F.K. 50代)

私が慰められた聖書の言葉

苦しみにあいたりしは我によきことなり。これによりて我なんじのおきてを学びえたり。

旧約聖書 詩編 119編 71節 (文語訳)

 

これは私が初めて触れた聖書の言葉です。私は10代の後半に病気をしたのですが、その頃、母が親しくしていたクリスチャンの方から頂いたお見舞いの葉書に、この言葉が記されていました。私は病床で何度もその葉書をながめ、「全くその通り」と思っていました。というのは、聖書の伝える神様は私の苦しみを知っていてくださるお方で、苦しみを通しても何かを語りかけてくださるお方だと思ったからです。私たち人間には苦しみの意味は分からなくても、神様には神様のお考えがあるということを思い、私は深い慰めを感じました。 

(M.T.  80代)

2021年9月19日日曜日

必要なことはただ一つ

マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。

新約聖書 ルカによる福音書  10章  41節


家に招いたイエス様の話に聞き入っているマリアに対し、客をもてなすために忙しく立ち働いている姉のマルタがイエス様に「マリアも手伝うように言って下さい」と頼んだ時のイエス様の言葉です。

「多くのことに思い悩み、心を乱している。」これは私の頭の中だと思いました。特に「しなければならない」と思ってしまう心の持ち方は、自分自身を縛ってきたように思います。かえって気力も萎え、本当に必要なことや、したいことが見えなくなっていました。このイエス様の言葉に立ち返り、今本当に必要なことは何かを祈り尋ね求めながら日々生活し、心の中の混乱から抜け出して、喜びの中で生きていけるようになりたいと思っています。

(S.O. 60代)