2026年8月15日土曜日

髪の毛一本を拾う今日にしたい

あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。

新約聖書 マタイによる福音書 10章 30節

教会に来たことのない7歳の小学生に、「神さまは、○○ちゃんの髪の毛の一本一本までも全部知っているんだよー」と話したときの、あの驚いた表情を今でも忘れられません。まさに目を丸くして、驚きと不思議が入り混じった顔で私を見つめてくれました。

その瞬間から、この御言葉と○○ちゃんは、私の中でセットとなっています。そして○○ちゃんは、私が日々祈りに覚えている大切な人のひとりです。

プレッシャーのかかる日の朝、与えられている務めを果たせるか不安になるとき、○○ちゃんのことを祈りながら、この聖書の言葉を思い出します。

――神さまは、私の髪の毛一本一本までも知っていてくださる。その神さまは、人の目にどう映るか、私が上手くできるかどうかよりも、私の心がどこに向いているかに目を留めておられる。今日という日を神さまのためにささげようとする、その小さな思いを喜んでくださる。

不安ばかりが心に広がりそうな日こそ、部屋に落ちている髪の毛を一本拾うように、本当に小さなことでも神さまの前に誠実でありたいと願います。誰の目に留まらなくても、神さまだけが見ていてくださることを信じて、神さまが微笑んでくださるような一日を歩みたいです。そう願いながら、勇気を出して毎朝家を出ます。

(30代)

2026年8月8日土曜日

すべて神様が創造し、良しとされた

神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を地に芽生えさせよ。」そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。

旧約聖書 創世記 1章 11~12節

ある時、田舎の道路脇に茂った雑草1つの葉の美しい形に見入ってしまった。人間にとっては、刈り取らなければならない邪魔な雑草だが、神様はこの葉の形をこんなにも美しく造られたんだと何か感動を覚えた。

真暗闇の深海の小さな生物の生態をテレビで見た。微生物や、魚の死骸の分解されたものを食べて生きている。この密やかに生きている生物も神様が造られて良しとされて生きていると思うと愛おしく感じた。

聖書に、神様は天地創造の後、これらすべてを支配するようにとご自分に似せて人間を造られたと書いてある。人間は、神様が造られたものから、食料を得、家を造り、生活に役立て、探求し、芸術を造ったりしてきたが、破壊もしてきた。「支配せよ」とは「よく管理せよ」という意味であるのに、私物化してきてしまったのではないか。

神様が造られたものは、どんなに小さなものも等しく大切で、そのどれもが欠けてはいけないものとして造られたのだと気付かされた日常のふとした体験だった。

(S.O. 60代)


2026年8月1日土曜日

どんな時も共にいて下さる神様

どんな事でも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いを捧げ、求めているものを神にうちあけなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなた方の心と考えとをキリスト・イエスによってまもるでしょう。

新約聖書 フィリピへの信徒への手紙 4章 6~7節

以前は自分の事を棚に上げ、何事も努力しないといけないと、子供にもその思いを強要していた時がありました。

教会に行くようになり、娘からママは少し変わったと言われました。

一日の始まりの祈りのなかで、大なり小なり、不安や困難に陥る事があります。

 そのような時、何時も共にいて、救いの手を差し伸べて下さる神様に感謝と信頼を持って賛美出来る事を幸せに思って、毎日お祈りしようと思っているのですが、時として感情に流され、自己嫌悪に陥る事も多々あります。

そのような時、自分の弱さを誇りなさいと、言って下さる神様のみ言葉に救われます。

そして私の好きな讃美歌のひとつ、「安かれ我が心よ、主イエスは共にいます、痛みも苦しみをも、雄々しくしのびたえよ、主イエスの共にませば、耐え得ぬ悩みはなし」を口ずさみます。

(F.S. 70代)


2026年7月25日土曜日

知らなくていい

風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。

新約聖書 ヨハネによる福音書 3章 8節

この聖句をきちんと認識したのは、高校生の頃、高校の礼拝の時間にこの聖句の近くの箇所が読まれていて、この箇所は読まれませんでしたが、わたしはこの聖句が目に留まりました。なんだか言語化できないけれど、惹かれる何かがありました。

そしてこの文章を書くにあたって取り上げた今、この聖句に何を思うんだろう、と考えてみたら、こう世の中とか人生を表すような言葉だなあと思いました。

この世は色々なもので溢れていて、その全部を知るはずもない、自分のことだって全ては知らない、神様のことも。風側も私のことは全く気にかけていないわけです。これだけだと冷たいイメージですが、でも同時にこの聖句は全てを知ろうとしなくていいんだ、と、考えすぎなくていいんだと言われているようです。

そんな儚さと心強さにきっと高校生の私は惹かれたのでしょう、自分の過去の謎が解け、生きやすさのヒントももらい、うーん、良かったです。

(S.I. 20代)


2026年7月18日土曜日

すべてのわざには時がある。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。

旧約聖書 伝道の書 3章 11節(口語訳)

6月に梅雨の晴れ間をぬって北アルプスの蝶が岳(2677m)に登って来ました。

沢の音を聞きながら、雪解けと同時に咲き始めた色とりどりの可憐な高山植物や新緑の美しさに背中を押される様に、順調に登っていきました。

登山道は良く整備され危険な個所もないのですが、山頂までの残り一時間が地獄の階段の連続。3時間半登ってきた脚にはとても辛いものでした。

休みつつも最後の力を振り絞って山頂に着くと、青空をバックに残雪と新緑のコントラストが見事な槍ヶ岳から穂高連峰の大パノラマが広がっていました。

その美しさに心をひかれつつも、疲労困憊の私は小屋裏のベンチに座り込んでしまいました。気が付けば小一時間!そうしている間に、さっきまでの青空は噓のように雲に覆われた景色の中へ。暫く待つ時間が続きましたが、青空になることはありませんでした。

自然が刻々と姿を変え、一瞬たりとも同じ景色がないように、私たちの人生にも晴れの日があれば、雲に覆われて先が見えなくなる日もあります。そのことを思いながら、私は旧約聖書、伝道の書の言葉を思い出しました。

「すべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」(3章1節)、そして「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」(3章11節)。青空にも曇りにも、それぞれ意味があるように、私たちの歩みにも神さまが備えてくださる「時」があります。目の前が開けている時だけでなく、先が見えず待つ時にも、神さまは働いておられます。

だからこそ、日々の歩みの中で神さまから与えられる恵みを見逃さず、神さまに思いを向け、祈りながら一日一日歩んでいきたいと思わされました。

(H.K. 60代)


2026年7月11日土曜日

愛と距離の間で

愛は忍耐強い。……

新約聖書 コリントの信徒への手紙一  13章 4節

 コリントの信徒への第一の手紙13章の「愛は忍耐強い」という言葉を読んで、私は自分には忍耐が足りないと感じている。普段の生活では、イライラしたり、人間関係で距離を置きたくなったりすることがある。また、私は自分自身を守るため・幸せにするためには、時には諦めることも必要だと考えている。無理をして我慢し続けることが、良いことだと思わないからだ。

 以前、親しかった友人に信頼していた気持ちを裏切られたと感じた出来事があった。それ以来、私は人を信じないようになり、その友人とも必要以上に関わらないようにしている。自分を守ることができなければ他人を守ることもできないと考えているからだ。

 ただ、この聖書の言葉を通して、忍耐とは自分を犠牲にして耐え続けることではなく、相手を大切に思う心を失わないことなのではないかと感じた。距離を置くことや諦めることが必要な場面はあるが、相手を憎み続けたり、仕返しをしたりするのではなく、その人にも事情があるかもしれないと考えようとする姿勢も、愛の一つなのかもしれない。

 今すぐ考え方を変えることは難しいが、それでも、「愛は忍耐強い」という言葉を心に留め、自分を大切にしながらも、相手への思いやりを忘れない人になれるよう努めていきたい。

(S.K. 40代)


2026年7月4日土曜日

祈ること

だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、
隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

新約聖書 マタイによる福音書  6章 6節

日常生活の中で祈るとき、お願いごとばかりが多いように思います。
もちろん感謝のお祈りもしますが、朝夕の祈り、食前の祈りもあります。
家族や友人の病気や困難を知った時は必死に祈ります。
複雑なことがらはブツブツ独り言のように祈るときもあります。
あれもこれもお願いします、お願いします、と。

み言葉の中に「祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」、とあります。
どの部屋ですか?? と、思ってしまいます。

それは、心騒がせ、表面的にくどくど祈るのではなく、心の奥深い部分に入って、その奥深い部分をさらけ出して祈った時に、神様からの平安となぐさめ、力や知識を与えられると知りました。
その奥深いところに神様はいてくださり、そして神様は、私達が願う前から私たちに必要なものはご存じなのです、とのみ言葉です。

日常のお祈りをきいていただきながら、心の奥深いところの自分の正直な、ありのままの思いを神様にお伝えしようと思っています。

(M.N. 70代)