2024年6月30日日曜日

恐れるな

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。

旧約聖書 イザヤ書 42章 10節

私は、中々の小心者で気が弱いです。朝目が覚めると「あー月曜日…がんばるかあ…ヨイショっと」と思いながら起きます。職場に行くと多くの人々にお会いしますが日々お会いしているのに一週間の始まりは緊張してドキドキします。

特に私にはハードルが高かったり未経験の業務を予定されている日は心が「あわわ~」とあたふたして落ち着きません。そのような時に思う聖書の言葉はイザヤ書41章10節の「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。」です。恐れてばかりいる私に「恐れるな」と神様は仰っています。「わたしはあなたとともにいる。」と仰ってくださる 。

出勤途中で、「『恐れるな』と仰っているから恐れない。ともにいてくださる神様にお任せしよう」と心で思いながら出勤します。

前後しますが、出勤前にはお祈りのなかで不安や心配に思っていることをすべてお伝えし「守ってください。愛のない私ですが神様のご愛を持って周りの人を愛していけますように」とお祈りしてから出勤します。

職場に到着しお仕事をしていくなかで「恐れ」はなく、落ち着いて穏やかに仕事に取り組めます。

聖書の言葉は魔法ではありません。「私」が「信じる」ことで体験のなかで私を助けてくださり、愛がある方へと導いてくださいます。

(K.O. 50代)


2024年6月23日日曜日

人にしてもらいたいと思うこと

だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい。これこそ律法と預言者である。

新約聖書 マタイによる福音書 7章 12節

私は長年ホスピタリティに関わる仕事をしてきています。聖書にはホスピタリティのヒントになる聖句がいくつか示されています。その一つがこの聖句です。

私自身接客をする際は「人にしてもらいたいと思うこと」を人にすることを意識して心がけていました。一方で自分がされて嫌だと思った接客はしないようにしていました。この聖句も見方を変えれば「人にしてもらいたいと思わないことは、人にしてはならない」と考えることができるのではないでしょうか。自分がされて嫌なことはしない。

そして、自分が相手にしたいと思うことをするのではなく、自分がしてもらいたいと思うことをする。これがホスピタリティの基本的な考え方です。

この聖句は私にホスピタリティの基本を示してくれた大切な箇所の一つです。

(K.I. 50代)




2024年6月16日日曜日

いつも喜んでいなさい

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなた方に望んでおられることです。

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙一 5章16~18節

喜べ、祈れ、感謝せよ。

日々の歩みの中で、喜べない事、祈れない時、感謝どころか恨みことを言いたい時はしょっちゅうあります。それでも、いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。と言われるのです。

10年前に我が家を開いて、コミュニティハウスにしたときに名前を「笑恵館」と付けました。喜べたら笑いが起こるでしょう。誰でもどんな気持ちで来ても、笑って出ていける様になったらいいなと思って、笑いの恵みに満ちた館としました。10周年を迎えて、その通りになっていることに感謝あるのみです。

(Y.T. 70代)


2024年6月9日日曜日

潤うこと

気前のよい人は自分も太り、他を潤す人は自分も潤う。

旧約聖書 箴言 11章 25節

初めにこの句の後半部分を知り、後に前半があることが分かったが、この箇所については他にも解釈があり、前半が「物惜しみしない者は富み」となっているものもある。

潤うとは渇きの反対語だと思うが、聖書において、渇きとは足りていない、満たされていないことを表わす。だからこそ潤うためにどうすればいいか、その一つとしての例がこの聖句だと思う。人の体が水分を求めるように、また人の心にも程よい潤いが必要である。

コロナ禍、人と人との接触が多分に制限された中で重苦しい気分になった人は多い。生活の中で自分以外の誰かと会話したり、共に行動する中で持ちつ持たれつの関係がある。人との関わりの中で、人は与え、受ける。受けるばかりでなく、与える者でいなさいと示される聖句である。

(R.M. 60代)





2024年6月2日日曜日

どんな時もみ言葉を

見よ、私の見たことはこうだ。神に与えられた人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ。神から富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきまえ、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを与えられるのだから。

旧約聖書 コヘレトの言葉 5章17節~19節

私の父は72歳で他界しました。戦中戦後をがむしゃらに働き続けた人生でした。
ある程度の財をなし、70歳で退職し、それからは自分の好きなことをして生きる予定でしたが、癌を患い1年間の闘病生活を送り、納得できない思いで亡くなりました。
「やりたいことが沢山ある。」が口癖でした。
この聖句を父に読んであげたかった!み言葉には、癒し、安らぎ、愛と喜びがあります。
今、私は聖書を読む度に、過去の経験や、未来への不安や期待をみ言葉に合わせて楽しんでいます。

(F.T. 70代)



2024年5月26日日曜日

神は愛です

神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。

新約聖書 ヨハネの手紙一 4章 17節

40年程前、まだ、20代に入った頃、人間は死んだらどうなるのだろう?当時では、まだ珍しい拒食症になった時に、死を意識し始めた。幸いにも、小学生まで教会学校に時々行っていたので、母が聖書をクリスマスにプレゼントしてくれていたので、部屋の奥にあった。聖書の中に答えがあるかも知れないと思い、最初から読み始めた。しかし、神が誰なのかわからなかった。父なる神、聖霊なる神、子なる神…三位一体に躓いていた。しかし、この聖句を読んだ瞬間に、目から鱗が落ちる経験をした。神様がわかったのです。嬉しくて、リビングにいる家族に聖書を見せ神は愛なんだよと伝えた事を今でもしっかりと記憶しています。神は私の内にとどまってくださいっている。今もこれからも感謝です。

(S.K. 60代)



2024年5月19日日曜日

心の貧しい人々は

心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。
へりくだった人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。

新約聖書 マタイによる福音書 5章 3~5節

私は、最初、「心の貧しい人々」の意味が理解できずにいました。
はて?心が貧乏とはどういうことなのだろうかと思いました。
そして、貧しい心が何故幸いなのだろうかと思いました。
貧しいといえば、少ないとか乏しいとか、とても幸いとは思えません。
ですがある時、それは心の支えのない人々を意味するのだと聞き、なるほどと納得しました。心の支えのない孤独な人々に居場所が与えられるのです。
そして、悲しむ人々が慰められ、へりくだった人々が大切にされるのです。暖かいことばに包まれる思いがしました。

悲しく、弱く、へりくだることしかできない立場の人々に、目を向けてくれる存在があるということに幸いを感じます。

(H.K. 60代)