2024年1月28日日曜日

赦すことは忘れること

わたし、このわたしは、わたし自身のために
あなたの背きの罪をぬぐい
あなたの罪を思い出さないことにする。

旧約聖書 イザヤ書 43章 25節

衝撃的な御言葉です。神に背を向けても、立ち返る者へ、背を向けたことを忘れて赦すと神様は語られている。「えっ!忘れてくれるんですか」という驚きです。日常の生活の中で幾度も神に背を向ける、神を忘れ、神に祈り語りかけることをせずに過ごす。それでも「背きの罪を思い出さない」、「立ち返りなさい」と語りかけて下さる。神の愛は計り知れないほど忍耐強い。

そして、赦すことは忘れること、これは神様にはできるが人間には難しい。無理やり忘れろと言われてもできない。ただ、この御言葉が冷静になることに導いてくれます。たとえ了解不能だとしても相手の言葉や行動の背景や思いを知ろうという冷静です。特に人間関係で「そういうことだったのかなあ?」と思えれば、やがて「もう忘れたよ」と相手に言える機会を与えられるかもしれません。事によるでしょうが、この御言葉から「忘れること」は和解への道筋を進む力の一つだと思えるのです。「忘れる」という力を人間に与えて下さったことを神様に感謝しています。

(T.M. 60代)



2024年1月21日日曜日

敵を愛しなさい

敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

新約聖書 マタイによる福音書 5章 44節後半

「隣人を愛し、敵を憎む」のならごく普通のことですが、神様は何とその逆、「自分を迫害する者」あるいは「あなたがたを憎む者」(ルカ6:27)を愛するようにと言われます。そんなことができるものでしょうか。何だか不合理に思えますよね。

確かに旧約聖書には「目には目、歯には歯」をもって償え(出エジプト21:24)と書いてあるのですが、神の子としてこの世に来られたイエス様は、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(マタイ5:39)とまで言われます。そうして「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(ルカ6:36)と。

実際、神の子であって何の罪もないイエス様が、ご自身を迫害した人間の代わりに十字架にかかられました。では私はというと……とてもとてもできそうにありません。そんな自分自身の罪深さを自覚すると同時に、イエス様のとてつもなく深い愛と憐れみを思わされる御言葉です。世界で繰り返される殺戮を主導する為政者たちの心にも、ぜひこの御言葉が届いてほしいと切に祈ります。

(N.N. 60代)



2024年1月14日日曜日

主のなさる「復讐」に信頼し、安らいで愛する

愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 12章 19節

私は母に感謝しつつも、「許せない」という強い気持ちを抱いていました。なぜ、幼い私に父や祖父母の悪口を吹き込み続けたのか。なぜ、目の前で喧嘩を繰り返したのか。なぜ、いつも苛立っていたのか。なぜ、なぜ、と怒りは溢れるばかりです。その頃の私が毎日不安だったこと、父や祖父母の目を見れなくなったこと、今も苦しいこと。これらを母に思い知らせてやりたいと感じるようになりました。母への態度が冷たくなってしまうことへの罪悪感もありましたが、どうしようもなく腹立たしかったのです。

そうした思いの全てを祈りのうちに主に伝えましたが、あるときふと、母の大きな苦労を深く実感し、「もう、許そう」とストンと思ったのです。母の苦しみは、頭では分かっていたことでしたが、実感したのはそのときが初めてでした。

選んだ聖書箇所にある「復讐」は、人がするのならば残酷なものでしょう。しかし、全てを見ておられる主は、母も私も愛し、それぞれの愚かしさや苦しみを戒め、癒しと救いを与えてくださる方です。そのような主のなさる「復讐」の行き着くところは主の平和なのではないでしょうか。自力ではなく主の助けによって怒りを手放した私は、主のなさる「復讐」に信頼し、安らいで母を愛していきます。








2024年1月7日日曜日

聖書のみ言葉

主はあなたの時を堅く支えられる。
知恵と知識は救いを豊かに与える。
主を畏れることは宝である。

旧約聖書 イザヤ書 33章 6節

新約聖書を毎日一章と、C・H・スポルジョン著の「朝ごとに」を日付にそって1ページ、J・ベイリー著の「朝の祈り 夜の祈り」(31日分)を、その日に合わせ読み、祈りますことが、朝の日課となっております。

聖書に、読み始めました日付が、書いてあります。1990年9月1日(55才)と記してありました。昨年2022年6月(87才)迄12回目と記してあります。旧約から新約まで読み通すのに3年位掛かるようです。聖書には、その時々に与えられましたみ言葉に、赤線が記され、日付が書いてあります。その日にあった事が、喜びも悲しみも記されております。読み返しますと、あ~こんな事があったのだ!と思います。

昨年6月に12回目を読み始めましたが、あと何回読み返せるのかしら・・と考えてしまう年になりました。その時々のみ言葉が、私の歩む人生の支えとなっております事を、心から感謝しております。

(K.N. 80代)


2023年12月31日日曜日

山々が生まれる前から

山々が生まれる前から
大地が、人の世が、生み出される前から
世々とこしえに、あなたは神。

旧約聖書 詩編 90編 2節

山々が生まれる前から、大地と人の世界が生まれる前から、とこしえからとこしえまで、神さまは神さまとして存在しておられます。その神さまの永遠に比べると、人の一生は、朝は花を咲かせ、やがて移ろい、夕べにはしおれて枯れていく草のようです。そんな私たちは自分の生涯の日々がどれほど残されているのかも知りません。

しかし、そんな私たちのはかなさの自覚は、神さまに依り頼む歩みへと導くのではないかと思います。つい先日、私は長年一緒に暮らしてきた大切なうさぎを守ってあげられず、その死に直面しました。どれほど悔いても、悔いても、悔いきれない。しかし、そんな悲しみの中で、この聖書の言葉が心を慰めてくれているようです。

私の信頼している神さまは、とこしえからとこしえまで神であられ、大地と人の世界を、そして、小さなうさぎのいのちをさえも慈しみ、愛してくださるお方なのです。私の小さな歩みも、私の大切なうさぎの小さな歩みも、神さまの恵みに満ちた配慮の中、確かに覚えられ、支えられてきたのだと思うのです。そして、やがて、死も悲しみもない永遠の世界へと導き入れてくださるのだと思うのです。

(K.T. 40代)



2023年12月24日日曜日

すべての人を照らす光

その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

新約聖書 ヨハネによる福音書 1章 9節

毎年クリスマスが近づいてくると街の至るところにイルミネーションやツリーが飾られ、その華やかな光景には思わず目が留まります。しかしそれと同時に、人間関係や仕事での後悔、この先のことについての漠然とした不安などが思い起こされて、クリスマスシーズンのきらびやかな世界とは対照的な、自分の中にある暗い気持ちが強調されてしまうこともあります。

世界で最初のクリスマスであるイエス様が生まれた日は、そのお誕生をお祝いするための華やかな装飾などはなく、そればかりかイエス様と両親が使える場所は馬小屋しかなかったため、生後間もないイエス様は飼い葉桶に寝かされました。きっと暗く寒い夜だったことと思います。しかし、そのような中にこそイエス様は、まことの光として生まれて下さったのだと聖書に書かれています。

今年のクリスマスも、それぞれに様々な思いを抱えながら過ごすことと思います。しかし、私たちの心の中にある暗く寒い馬小屋の中にこそ、イエス様が生まれて下さり、まことの光で照らして下さることを覚えて、感謝してこのクリスマスをお祝いしたいと思います。

(M.K. 30代)


2023年12月17日日曜日

神はいつも共にいてくださる

見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマヌエルと呼ぶ。

旧約聖書 イザヤ書 7章 14節

毎年楽しみにしていた教会学校の子どもたちによるベージェント(降誕劇)がコロナの影響により一時無くなり、昨年からは新たな形で再開できた。

今年のお手伝いに備えて過去の動画を子どもたちと見ていると、その場をただ楽しんでいる様子に爆笑したり、むくむく大きくなったことに驚いたりして楽しかった。

子どもたちは、この劇を単純に楽しむことでイエス様降誕の物語を無意識に記憶に刻んでいるが、その真の部分、神様はいつも共にいてくださること、神様は、闇を照らす光としてイエス様を与えてくださったということも分かっていて欲しいと、子どもたちが思春期のいまこそ一層強く思っている。

親には言えない悩みやつらいことがきっとあるだろうけど、自分を見失わず、信じて前を見て、光を見失わないでいてくれますように。

(M.M. 40代)